自由と経済的豊かを手にする日記

たった一度きりの人生をやなことばかりに追われてムダに過ごし生きている意味なんてどこにもない。

小学〜中学時代「ポジションは、センターベンチ」

おやじが、

野球好きで、

いつもキャッチボールばかりしていた少年時代。

そんな私が、

1993年にJリーグが開幕し、

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「出典 : http://www.jleague.jp」

いつも一緒に野球していた友達が

こぞって、小学校のサッカー少年団に

入り始めた。

投げて、打って・・・

手を使うことしか知らなかった私だが

「まわりに取り残されまい」と思い、

友達に誘われるがまま

サッカー少年団に入部したのが

小学校4年生のとき。

しかし、

リフィティング!!?

はっ!?なにそれ!???

意味あんの!???

ボールを蹴って飛ばす!??

ケンカで浴びせたライダーキックしか

できない私は、

サッカーボールを飛ばすことはできなかった。

だんだんと、

サッカー少年団の練習にいかず、

近所の公園で、

野球少年たちと、

キャッチボールに

バッティングに明け暮れる日々。。。

ただ、

体力はあった。

田舎の小学校のため、

家から学校まで、

毎朝歩いて1時間の距離にあった。

あと、100Mくらい学校から遠ければ

チャリ通が許されていたのに、、、。

その、おかげで(!?)

マラソンは、大嫌いだったが、速かった。

いつも学年で3位、笑。(びみょ〜・・・)

学年で1位のやつは、

町の代表にもなるくらいのすごいヤツで

勝てるわけがない。

学年で2位のやつは、

首を斜め45度に曲げて走る

ヘンテコな走法で、

(マラソンの谷口選手を連想するような)

スタートから、ゴールまで、

一切、スピードが落ちない無尽蔵。

あの2人には、

9年間、なにがあっても勝てなかった。。。

(小学校6年間〜中学校3年間、同じ学校)

マラソンが速かったこともあって、

はじめて器用されたのが、

ミッドフィルダー!

しかし、

来たボールを、

クリアすることしかできなかった。

前へクリアなら、まだしも・・・

キックも飛ばなかったので、

全部、サイドライン(横の外)に

クリアーしてやった!

私にボールが来ても、

全部、横に出しちゃうので、

全て相手のスローインから。

相手ゴールに近づかない。

そのため、、、

私のレギュラーポジションは、

センターベンチでした。

声がデカかったため、

(センターベンチからの応援?ヤジ?)

たま〜に、サイドバックで起用されることも。

サイドバックに起用されようとも、

サイドライン目掛けて、クリアーするプレースタイルに

変わりはなかった。

超〜〜〜、安全なプレーヤーとして、

リスクを負いたくない時間帯は、

起用される機会も増えてきた。

だって、前に飛ばないんだもん。

ドリブルやパスができないんだもん。

中学3年生で最後の大会。

中体連を迎えたある日。

センターバックの選手がケガをして

試合に出れないことになった。

「えっ!???オレ!???」

いやいやいや、

だって、

前にクリアーできないよ!

センターバックで、守りの要じゃん!

おれを起用するのは、あぶないって。

そう嘆願したが、、、

体力があって、30分×30分走れる

セーフティーな人間は私しかいなかった。

わたしより、うまいやつはたくさんいたが、

みんな、「我」が強くて

ボールをもったら、離さない。

もし、万が一、

大事な場面でソレをやられてみろ!!!

リスクが大きい〜。

そこで、

セーフティプレーヤーの

センターベンチ兼応援団の私が起用されることになったわけだ。

はじめてのレギュラーは、

緊張した。

靴ヒモがほどけてはいけないと

なんども結び直し、

一生解けないのではないかという・・・

カタ結びになってしまった。

そんな中、

中体連という大事な試合での

大事なポジション。

私が出来るのは、

一番後ろのポジションから

「あがれーーーー!」と大声を出すこと。

そして、

得意の「横へのクリアー」だ。

中体連の1回戦。

0−0で迎えた後半残りわずか・・・。

コーナーキックになり、

捨て身の攻撃で、

センターバックの私にまで

「ゴール前にあがれっ!」と指示が飛ぶ。

ヘディングにも自信がなかったので、

あまりゴチャゴチャしたゴール前を避けて、

一番大外(おおそと)のファーに位置を取る。

「来るな、来るな」と願いながら、

中村俊輔ばりのキックを蹴るチームトップ下の選手が

コーナーキックを蹴る。

来るな、来るなと願うと

なぜか!?

来ちゃうもんだ。

ファーでフリーの私にボールが一直線で飛んできた。

「マズッい!!!」

と、思ってジャンプしたら、

ギリギリ、頭にあたり、、、

そのまま、ギリギリのコースに

ボールが入っていった!

まぁ〜、

基本、ヘディングが苦手だから、

目をつぶっているわけで・・・。

まったく、ゴールに入るところを見ていなかったので

記憶にない。

しかし、

私の公式戦初ゴールは、

中学3年生の最後の試合だ。

ゴールの後、

みんなが、

センターベンチの私につめよって来るのは

記憶にある!

私は、なにが起こったかわからなかったが

みんなの喜びようで、ゴールが獲れたんだなと・・・。

それをきっかけに、

サッカーに少し興味が出てきた。

中体連も、

1回戦を勝ち上がり、

トントン拍子で勝ち進み、

一番地元の地区大会は、優勝することができた。

次は、もうひとつ次のステージの地区大会。

日本一大きい面積を誇る土地の大会なので、

細かく大会が分かれている。

東京や神奈川みたく、

都内・県内で一発トーナメントということはない。

全道大会に出ようもんなら、

2〜、3泊〜の泊まりがけになってしまう。

結局、

途中で負けてしまったが、、、

どこで負けたかすら覚えていない。

しかし、

なぜか、悔しかった。

すごく、悔しかった。

中学終わったら、サッカーやめようと思っていたのに・・・。

なぜか、

中学3年のサッカー部引退後から、

私の魂(スピリッツ)に火がついた。

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